文: 井上岳
空白にふれるーアルヴァロ・シザ未完の作品集『Incomplete Work』
Editorial|2025/10/28

建築をつくる時は、実際の建築に先立って、図面や模型など⸺代理表象の制作が必要である。そして、 アルベルティ*が建築を理念の芸術として定義して以来、建築とは、資材や現場の制約から独立した表象そのものが建築であるとされてきた。
アルベルティが示した代理表象=建築という概念は、のちに書籍という形式へと拡張され、流通していく。建築の作品集とは、建物が社会に引き渡されたのち、図面、写真、テキストによって再び構築される⸺紙上の建築である。 ここでは、代理表象の集合としての書籍そのものが建築となる。それは、完成した建物を別のかたちへと移行させる試みであり、ページをめくる行為は、完成された建築を追体験することに近い。その向こうには、実在する建物がある。⸺では、未完のプロジェクトによる作品集は、何を建築するのだろう。
ポルトガルを代表する建築家、アルヴァロ・シザによる、実現することのなかった未完のプロジェクトをまとめた作品集『Incomplete Work』(A+A Books, 2024)がある。シザにとって未完とは、単に途絶えたプロセスではない。それは、建築という思考が、いまだ可能性を開いたままにある状態を示す。設計を続けることによって、かたちは保たれ、未完の悲しみは静かに癒されていく。


Incomplete Work / Álvaro Siza (A+A Books, 2024)
178点のプロジェクト、14のテキスト⸺。
膨大な情報の集積は、大きな空白を形づくっている。そして、書物であることで、私たちはこの空白にふれることができる。手書きのドローイング、図面、模型写真、テキストも全て青焼を思わせる濃い紺色の一色刷であること、そして、B5変形の用紙に合わせて縮小された図版の線は、細くなり揺れることで、紙面にひとつのまとまった空白をつくりだしている。図面やスケッチ、パースの断片は、それぞれが互いに呼応しながら、空白を抱えたひとつの都市をかたちづくる。
その断片の都市は、地理的にも広がる。ポルトガルからスペイン、イタリア、ドイツ、フランス、オランダ、フィンランド、ギリシャ、アメリカ、アルゼンチン、ブラジル、中国、韓国、台湾、そして日本まで⸺1956年から2021年に至る六十五年のあいだに描かれたその都市は、どこまで読み込んでも、つねに新たな空白を生み出していく。その建築の余白は、読者が想像力によって触れることのできる場所でもある。未完のプロジェクトが集まる都市を歩き、その頁をめくる。空白に手を伸ばす。その指先に、紙の上でゆらめく建築の輪郭が触れる。大切なことは、建築を未来志向の明るいスペクタクルとして消費させないことだ。シザの未完の悲しみを抱いたこの書籍は、スペクタクルを癒すもうひとつの建築を描き出す。
*レオン・バッティスタ・アルベルティ(1404-1472):初期ルネサンスのイタリアを代表する建築家、人文主義者、芸術理論家。主著のひとつ『建築論』は、ルネサンス建築の理論的基礎を築き、後世に大きな影響を与えた。
